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愛と幻想のファシズム〈下〉
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| ジャンル: | 歴史,日本史,西洋史,世界史
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| 人気ランキング: | 377110 位
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父と子の話
ハンターであるトウジが、カナダのストリップバーでゼロと出会い、政治権力を握っていく話。弱い日本に嫌悪感を持つ様々な分野のエキスパートを仲間にし、大衆の心を掌握、度重なる秘密工作によって米ソの懐まで入り込み、世界経済のスケープゴート寸前にまでさせられかかった日本を救い、ゼロの死までで話は終わる。トウジ、ゼロ、フルーツなど魅力的なキャラクターが登場するが、その中に万田という人物がでてくる。社会党が政権を獲得した際の首相として登場する彼は、ゼロ以外に唯一トウジを「動揺」させた人物である。殺したいと思うと同時に抱きしめたくなったとか、「君の周りにいるやつはみんなクズだ」といわれても全く腹を立てなかったり、父親のようにかんじたりとか。 私は、この男こそ、この物語の重要人物ではないかと思う。トウジはこの男の中に、日本というものの本質、日本人の本質をみたのではないかと思う。それは、「アメリカにとらわれ続ける弱者」としての日本。そしてそこから恐らくどう足掻いても逃れられない日本。万田はその体現者、父として現れたのではないか?それを息子としての視線で、同じ弱者の血脈として、絶望と愛情の入り混じった感情をもって悟ったのではないか?そしてトウジは「黄金のエルク」を見失う…自分はハンターなんかではなく、弱者の農耕民族の日本人の息子なのだと悟ったから。彼は万田から自分の存在、ルーツを知ったのではないか? 余談だが、この万田という男、実在のモデルがいると私は思っている。それは、「アメリカと私」の著者、江藤淳である。万田も江藤も、日本人として「アメリカ」から逃れられず、またそれに無自覚な自分の子供達(著者を含めた若い世代)を絶対に認めなかった。
圧倒的な空想
著者のこの本にかけた意気込みは、他の出版物からも窺い知れる。相当数の書物を読み、社会科学の勉強をした、という。そして、その成果として、この小説があるとするならば、私にとってそれは少し残念である。ブラジル程の大国がデフォルトを宣言する、これは絶対にあり得ない。幾ら世界規模でGDPが低くても、南米の大国の経済が破綻すれば、南米だけでなく、北中米、欧州、世界と連鎖的に経済が計り知れない大打撃を受ける。世界経済を麻痺させ、大恐慌を巻き起こす事態は、世界恐慌を知るアメリカが積極的に介入して、現実世界では絶対に起こり得ない。つまり、この本で次々と起こる事件は、圧倒的なまでにリアリティに欠ける。全てが空想の産物、と言っていい。それは、著者が政治経済の素人であることを、返って浮き彫りにしてしまっている。無論、文学である以上、空想は避けて通れない。どこまで創作を行っていいのか、は議論が分かれる部分ではある。だが、リアリズムの文学ならば、その創作にはおのずと制約がかかるはずだ。そして、この作品は、本来リアリズムに属する作品のはずだ。作中の行動部隊クロマニヨンに代表される、B級映画やドラマのような行き過ぎた創作は、文学作品としての価値を貶める。派手な飛び道具や舞台設定に頼る文学は、村上龍らしくない、と言えるかもしれない。この本を書いたのが北方健三ならば、自分は否定する気は起きないだろう。だが、村上龍である以上、非常に残念に思われてならない。
スターリニスト
二週間掛かった。長い。
トウジになるのか
ゼロになるのか
スケールの大きい話。バブル崩壊手前で書かれた作品。
極限状態で、同じ人間関係が保てるか。そういう判断基準もあるんだなぁと思った。
読み方次第で、犯罪者を作り出してしまう作品だと思う。
また数百冊の経済関連書籍を読んだ著者。細かい部分まで徹底して書いている気がする。知識不足でよくわからない。
システムへの反抗というテーマは難しすぎる。わからない。
引き込み度が高い作品。
抗えない魅力
1987年発表の作品の下巻。
上巻で伸張した主人公「トウジ」率いる結社の国外の対立勢力との闘いを描いていく。
上巻で圧倒的なスピードで勢力を拡大したトウジ達が直面する、国外勢力の壁。
下巻で描かれる主人公達は「閉塞感」や「疲労感」をまとって描かれている。さらに結末はあまりに儚い印象を受けた。システムの埒外から革命的な組織を作ろうとしていても、現状を打破するためには現状のシステムを取り込まざるを得ないという、トウジたちのジレンマが行間から伝わって来るようだ。
現代社会でトウジ達のように「適者生存」を大原則とした政策を掲げることはおそらくタブーであろうが、生物活動上の大原則である「適者生存」は、これからヒトという種が健全に繁殖する上では、とても抗いがたい魅力を持っている。医療の進歩や技術革新は本来生存すべきでない個までを、社会的コストやリスク負担を伴って生存させてはいないだろうか。適者のみが生存できる社会は本当に非難されるべきだろうか。
道徳的な人権思想やミクロな幸福感を満たすために、生活習慣病的にゆっくり社会全体あるいは種全体が病んでいく。気付いたときには複合的かつ不可逆的な病の進行が明らかになるだけ、そんな社会を我々は望んでいるだろうか。
あくまでフィクションであり、現実に起こりえる可能性を考える必要はないかもしれない。ただし、平和でのどかな「人権思想」に基づく「平等」社会は本当にヒトにとって理想的な社会であるのかと言う点をこれでもかと揺さぶる良作である。
文章に気だるさを覚える。
上巻までは、良しとして下巻はクオリティという観点からみると落ちたように感じる。
まず、上巻で圧倒的個性を持って描かれていた登場人物たちが、どこか物語を進める上での駒のように、のっぺりと描かれている感じがした。
次に、明らかに付け焼刃な作者の専門知識(薀蓄とでもいうべきか)を、だらだらと著述するだけという箇所が大幅に増えた。これのせいで、物語進行が妨げられ、話がどん詰まりになってしまっている。
メリハリが感じられない文章のせいで先の展開がさほど気にならず、ラストの感動も減退してしまった。
ただひとつ褒めるとすれば、作家としてのイデオロギーを示そうという努力が見受けられることかと思う。
講談社
愛と幻想のファシズム〈上〉 (講談社文庫) 希望の国のエクソダス (文春文庫) 五分後の世界 (幻冬舎文庫) ヒュウガ・ウイルス―五分後の世界 2 (幻冬舎文庫) コインロッカー・ベイビーズ (下) (講談社文庫)
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